日本統治時代の1917年、「真言宗吉野布教所」が花蓮近くの吉野村(現在の花蓮県吉安郷)に造られた。国民党政権時代に慶修院と改名され、本尊の弘法大師像は日本に戻されてしまった。1997年に慶修院が国家第三級古蹟に指定されると、弘法大師像も本堂に戻ることができるようになった。境内には光明真言百万遍石碑や四国八十八ヶ所霊場を模した石仏などが残っている。日本人だけでなく大勢の台湾人も訪れ、絵馬を書いているのは面白い。
吉野村は台湾で初めて造られた官営の日本人移民村で、徳島県の吉野川沿いの人たちが中心になって開拓した。その後、花蓮から台東に続く花東縦谷には沢山の移民村が出来た。
花蓮轉運站(花蓮駅東口を出るとオレンジのビルが左前方に見える)
観光案内所がバスセンターにあるので、「慶修院」行きのバスを確認しよう。
台湾好行303番バス
運転手さんに「慶修院」と告げておく。降りたらバス通りを渡り、左に向かう。
吉安慶修院
四国八十八所霊場を模した石仏石仏
多くの絵馬
ちょうど台湾人の団体客がガイドさんの説明を受けていた。
吉野村時代の資料や写真が展示されている
日本人移民村については、ウィキペディアなどを参考に書きました。もう少し理解を深め、改めて花東縦谷を訪れたいと思っています。